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高校1年の娘が夏休みから、全く学校へ行かなくなった。本人は留年したくないと言っており、なんとか卒業させたいが、このままだと留年か退学は免れない。」ということで、母親と娘のA子が来校して来た。A子は派手目の化粧をしていたが、人なつっこく元気で明るい娘だった。 学校にも行かず、家にも帰っていない事情など正直に話してくれた。全てを聞き入れた上で、「どうして?」ではなく、自分自身「どうしたいのか」を話し合った。 高校はどんな事があっても出ておきたいということで心機一転し本学苑に転学することとなった。A子さんは登校初日から本学苑の友人の輪の中に入っていた。しかし、前校時代の友人や先輩とのかかわりを断てず、昼夜逆転の生活から抜けられず、なかなか通学や学習のペースが掴めなかった。 先生たちは欠席を責めず、電話やメールを通して指導支援を重ねた。しばらく連絡が途切れると、自分から連絡を入れてきて、「私はここにいるよ!」とアピールしているようだった。A子さんは両親、祖母との4人暮らしだが、両親とも多忙で不在がち。「中学二年ごろまでは、手のかからない子でした」と母親は行っていたが、A子はそのころからいわば母親のために「迷惑をかけたくない」「褒められたい」「頑張らなくては」と懸命に努力をしていたのだった。そうしたA子の無理をした努力の疲れも出て、突然、親に反発するように学校に足が向かなくなったのではないかと思われる節があった。母親の愛情には一方通行の傾向があり、娘には母親に逆らうばかりで本心をぶっけないという行き違いがあった。 高校2年になったA子さんは、進路相談の際、「母の仕事に関係する仕事に就きたい」ともらした。そのことを実現するには、簿記検定を取ろうと、進んで勉強をはじめた。母親が嫌いだったのではなく、もっと私に注目して、認めてほしいと思っていたのだった。マイペースながら登校を続け、メールや電話では心の内を見せてくれるようになってきた。 不安になる時は登校日でなくても顔を出し、とりとめのない話をしてかえった。ここに、自分を認めてくれる居場所を見出したのだ。卒業の時期が近くなったころからA子さんは背伸びをやめて化粧もナチュラルになり、普通の18歳に戻っていた。 自分の「存在価値」を自力で掴むことが出来たのである。 ●梧桐学苑● ▲
by aogiri-gakuen
| 2011-04-24 12:19
| 個性を育み・育てる実践・実例
2011年3月11日の東日本大震災は、日本の現代社会のあり方に、衝撃的なアンチテーゼを国民一人一人に突きつけました。 梧桐学苑は、被災された方々への教育的視点からの支援をmotherboard「日本の道」と連携し、被災者のための「子供の教育に関する無料相談」を始めました。 motherboard「日本の道」 ![]() http://japanroad.exblog.jp/15225497/ ★梧桐学苑★ ▲
by aogiri-gakuen
| 2011-04-14 14:22
| お知らせ
或る日心療内科医師の紹介で、母親が相談に訪れた。「中三の息子は不登校で、家からほとんど出ない」と疲れた様子だった。 祖父母、夫、息子、娘の6人家族。祖父母は不登校を理解せず、父は多忙。母親1人が問題を背負い込んだ状態だった。息子の社会との唯一の接点は、趣味の将棋を通じて出会った年配の人達だった。そこで私たちは将棋を糸口にかかわりを持つことにした。やって来た本人は、私たちと眼を合わさず、言葉も少ない。対人関係に自信を失っていると感じた。不登校の直接の原因は,中1の時の友人とのトラブルだった。しかし、その背景にはADHD(注意欠陥多動性障がい)による落ち着きのなさや、コミュニケーションの取りにくさがあった。不運にも、彼の周りに彼を理解する同級生や大人がいなかった。本人は努力しても注意を受けるばかりで、すっかり自信を失くしていた。状況を把握するため訪れた彼の出身中学で、先生方は「親が甘いから不登校になる」「母親の躾が悪い」と言われた。母親の居場所まで奪われていたのだった。 彼の場合、育て方が悪かつたわけではなく、持って生まれた個性なのだと思った。 ADHD(注意欠陥多動性障がい),LD(学習障がい),高機能自閉症など、発達障がいとよばれる生徒たちへの理解はまだまだ低いと感じた。何やかやと無い点ばかりを指摘されたら、誰もが嫌になり、心を開こうとしなくなるのは当然だ。その個性を認め、理解し生かすことで、彼は本校で同級生たちとの信頼関係を深めて次第に自信を取り戻した。不登校生が皆勤賞をとるまでになった。 接客のアルバイトにも挑戦した。ストレスで体調を崩した際、「むりしなくても」と私たちが言うと、明るい表情にもどった。 子供たちは、周りの人の受け止め方次第で、自信を得たり失ったりする。大人が子供の心を理解し余裕を持って子供を見守ることが出来れば子供に笑顔が戻ると思っている。 ●梧桐学苑● ▲
by aogiri-gakuen
| 2011-04-10 13:08
| 個性を育み・育てる実践・実例
梧桐学苑の顧問・適応教育士の学習支援・カウンセリングでの実践・実例を不登校・発達障がいで苦しんでいる人のため開講することと致しました。実践・実例は①適応教育士の支援指導書の実例②梧桐学苑の顧問・適応教育士の過去の実例③現在支援指導中の実例等の中から適宜・適切な実例を「個人情報保護のため、名前を仮称にし、内容を多少加工」してありますので、ご了承下さい。 ●梧桐学苑● ▲
by aogiri-gakuen
| 2011-04-10 13:06
| 個性を育み・育てる実践・実例
今年の1月末頃のA新聞朝刊に「発達障がいの4歳の長男を殺した母親、殺人容疑で逮捕」という記事が掲載されました。友人たちの「母親がどんなにつらかったか」「子供がかわいそう」という言葉の通りの悲痛な出来事でした。時すでに遅しですが、何故このような事件が事前に防げなかったのかと残念でなりません。 私は今までの経験から不登校も発達障がいも病気や障害を治療するという、「医療・治療的視点」でなく、「其々の子供の個性の顕れ」として教育的視点で捉えて教育・訓練・指導支援(薬の必要な場合もありますが)をして行かなければならないものだと思っています。発達障がいは「障がいが発達期に顕れる」という特徴を持ち、精神伝達の機能に障がいがあることで、「精神発達の問題」「脳の発達段階での機能障がい」とも言われています。この障がいは他の精神疾患とは異なり、障がいが進んで最終的に人格崩壊にまで至るということがない(「障がいの非進行性」)と言われています。 私は子供には「感性の脳・知性の脳の発達」「自我の目覚め」等の遅速や「心と体」「学力・能力(得意と不得意)」のアンバランスや「「経済力・環境」の格差等の成長過程における子供の心身の成長に与える影響要因が複雑に絡み合って起きる現象であり、それを病気や障害として治療するものではないと考えます。 私は身体の不調や精神的不調に対して何でも病名(何々症候群など)を付けて病人をつくり上げる今の風潮に疑問を感じます。不登校問題や発達障がいの研究や解明が進み、特別教育支援体制が進んで良い面も出てきている反面、レッテルを張られたり、仲間外れにされたり、いじめや差別化の対象にされたりする例も増えているように思います。 子供たちは時代の子であり、環境の子なのです。不登校や発達障がいも個性として、1人の親の性にしないで、時代や社会が生み出した個性的な子供として、その教育の在り方・体制を考える必要があるのではないでしょうか。 梧桐学苑では不登校や発達障がいの子供たちの家庭訪問をして不登校脱出・復学を支援していますが、そのような子供を抱えた家庭は大変です。世間からの批判(母親の躾と教育が悪い・学校・親族も含め)と家庭内トラブル(子供・父親からの責め)を支えている母親の精神的苦労や悲鳴を何時も目の当たりにしていますが、不登校脱出と復学は母親の精神力と協力に懸かっていると言っても過言ではありません。 社会のどんな荒波や災難が来ようとも、子供には自然治癒力が備わっていますから、保護者の精神力と献身的愛情、周りの人達の理解と大きな支えがあれば、子供は立派に育つし上記のような事件が起きることも無くなると思っています。私は子供のために懸命に生きていらっしゃるお母様方の苦労は必ず報われると言う事を申し上げ、エールの一句を送ります。 「心病む日もありし子よ鳥帰る」… 今日、子供が海外の就職先に旅立ちました。空き部屋となった子供の部屋から空を見ると北国に帰る鳥の一隊が見えました。中高生の頃、あの子と共に死ぬほど悩んだ日々が走馬灯のように懐かしく甦って来ましたという句意です。 次回から、梧桐学苑の不登校脱出・復学支援の実践・実例をブログで紹介します。 ●梧桐学苑● ▲
by aogiri-gakuen
| 2011-04-08 23:30
| 個性を育み・育てる実践・実例
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